意識をむけてみるといろんなものが見えてきますよね。お酒とオンガクが好きなサラリーマンが綴る、意識の向けどころページです。お仕事の息抜きや、お酒の肴にどうぞ。


by dasauso
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音楽の世界遺産?ともいうべきバッハのマタイ受難曲を立て続けに聴く機会を得ました。マタイ初心者ではないにせよ、生の演奏はもちろん、CDでも通して聴いたこともあまりなかったわけですが、今回は、非常に感動を覚える経験で、自分にとってのマタイとして、新たなフェイズを迎えました。

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まず近いほうで、3月22日(土)ザ・シンフォニーホールでの、鈴木雅明によるバッハ・コレギウム・ジャパンの演奏。(偶然にも無料券+割引券を頂きまして...)

若手ソリストによるみずみずしさと、緊張と包容力を感じさせる演奏で、スキのない、それでも心をゆさぶる見事な演奏でした。

あれこれ印象に残るシーンはあるのですが、ドミニク・ヴェルナーの歌う最後のアリア「わが心を墓として」はひたすら優しい響きで、ほんと泣きそうになりましたよ。アルトのダミアン・ギヨンも表現豊かでした。

広いホールながら、前から3列目の真ん中、ステージ近くで聴けて、雅明さんの振る姿や、秀美さんの奏でる表情などを見ることができたのも一つの新たな体験です。

3時間があっという間でした。これは、曲が自分になかにしみこんできたこともあるし、なにより演奏からメッセージを受け続けたことからなのでしょう。(当日の朝、ドイツから帰ってきて時差ボケモードでしたが、はい、全く眠りませんでしたよ。)


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そう、もう一つはその2日前の3月20日(木)、マタイ初演の舞台となったライプツィヒ聖トーマス教会での演奏です。ちょうど受難節(イエスが十字架に架けられた週)の金曜日にかけ、その前日から連夜で演奏されたマタイで、木曜日に聴いてきました。

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こちらは、ゲオルグ・クリストフ・ビラー指揮、聖トーマス教会合唱団、ゲヴァントハウス管弦楽団による演奏です。

教会のオルガン前のスペースに陣取り、聴衆は1階と2階バルコニーで聴く形です。半分近くの席は自分の後ろで演奏がなされ、サイドの席からは向かいの人の顔がみえます。まさに老若男女、老夫婦からこどもまで、たくさんの人が集まりました。
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前奏がはじまると、胸がきゅっとしめつけられるようでした。やがて、少年合唱の澄んだ声が、かつてバッハがカントールとして活躍しそして今も眠るこの教会の空間に満ち響きます。エヴァンゲリストの柔らかい声、あたたかなアルトも印象的。ゲヴァントハウスのソリストたちは、ハッとさせる伴奏。さすがです。奇をてらうわけでないけれども抑揚も心地よく、すばらしい演奏でした。

そう、すばらしい演奏だけれども、そういった演奏内容ももはやディテールであって、感動はさらに違うところからくるものが大きかったのでした。それは、ライプツィヒ市民に混じって、信仰としての受難曲に触れられたからだと思います。



ほんの20年も前のことではないかつての東ドイツ時代の苦悩と精神的戦いの記憶、そしてイエスのもとに集い非暴力でもって民主化を実現した動きの発端となったライプツィヒ市民としての誇り、それでも今なおある何らかの不安、そうしたものが彼ら彼女らの中に入り混じり、そして一切のものを包容するキリスト教への信仰がその表情に見えたような気がしました。



ラストの感動的な合唱を終えると、しばらくの静寂が満員の教会を包みます。拍手はありません。ある人は涙し、ある人は安堵の表情を浮かべています。しばらくして、演奏家たちは互いに握手をし、人々は席をたち、それぞれの家路につきました。

「神の愛は苦しみよりも大きい」というのがバッハのメッセージが、形のない音楽でもって伝えられ、また今年も人々の心を打ったことでしょう。教会には、ライプツィヒの外からも集まってきていたことと思います。そして、私のような非信者の音楽愛好家と思われる人もいるでしょうし、日本人の姿も見えました。ただそこに感じたのは、信者も非信者も関係なく受け入れる寛容の空間、音楽の時間というものではなかったかと思います。


今回、受難節の時期にライプツィヒでマタイを聴けたというのは、すさまじく心を動かされるたいへん重要な体験になり、そして、受難曲を自分なりに受け止めて、今度は演奏する立場となるうえでも、たいへん貴重な体験であったと思います。



二つのマタイ、どちらのほうがいいとかということは言えません。敢えて表現するとすれば、演奏会としてのマタイと宗教行事としてのマタイとして、それぞれに最高の演奏に接することができたということかもしれません。
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by dasauso | 2008-03-24 05:41 | オンガク編
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居ても立ってもおられず、ライプツィヒのゲヴァントハウスに国際電話をかけました。

「はろー、あー、あー、まいねーむいずdasausoふろむじゃぱん、あー、あー。」

5分ぐらい格闘しながら、だけど相手がとても親切な人だったおかげで、ついさきほど、なんとかマタイ受難曲の演奏会チケットを予約しました。

やっぱり英語ってやっとかんとあかんよなー、とこういう時に反省する。電話では、覚え立てのドイツ語と英語とがちゃんぽんになって、とにかく必死。


ちょうど来週からヨーロッパ出張に行くのですが、幸運に幸運が重なり、もともと行程になかったライプツィヒを組み入れることが出来ました。(B●Wの自動車工場を見学するのです。)出張自体は、ドイツ(ハンブルク・フランクフルト・ライプツィヒ)からポーランドのクラクフ、スロバキアとまわり、強行軍ですが、旅の最後に、癒しのライプツィヒ。そしてマタイ!


本場中の本場のマタイを聴けます。本場っちゅうことはどういうことか。

バッハがマタイ受難曲を書き、はじめて演奏したライプツィヒの聖トーマス教会で、二百数十年前のバッハから数えて16代目のカントール(音楽監督みたいなもん)の指揮による演奏会を、受難節の時期に聴くことができるということです。出来すぎちゃうんかな、これ。


実はその2日後、帰国当日も大阪で鈴木雅明指揮BCJのマタイを聴くんです。行けない人から先日、たまたまチケットをもらった。ありえへん。これも出来すぎ。

あとは、雅明さんに風貌そっくりな上司の了解をとりつけるだけです....(順番が逆)



みなさん、ほんとにごめんなさい。
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by dasauso | 2008-03-12 22:57 | オンガク編